杉滝岩 

4月1日(日)
岩登りトレーニング
天候 曇り(黄砂が酷い)

参加者
相沢さん、NEN(石井)さん、宮下さん、LTQ(私)

朝、4時30分過ぎに一度起きたのだけれど、外を観てどうしようか?考えているうちに二度寝をしてしまい次に目覚めたら朝7時。すっかり朝寝坊で、遠出、長いアプローチは向かえない。二王子へ軽量スピード登山かノンビリ焼峰か?
なんて考えるも、今日は黄砂で視界不良。気持ちが萎える。

TVを観て遅い朝ごはんを食べていたら、相沢さんから電話があり杉滝に行かないか?との事。即、了解!の返事をして準備をする。昨年やり残した、競技会ルートがいきなり気にかかる。

現地に少し遅れて到着。相沢さんが、石井さん、宮下さんが来るかもしれないよ。と云う。準備をして今シーズンお初だからとりあえず正面スラブを行くか?と云われる。
そうこうしているうちに、石井さん、宮下さんが到着。

NENさん、宮下さんが準備をしている間に相沢さんが正面スラブを登る。中間で切らないで上まで一気に行く。私がセカンドでバックロープ2本を引いて登る。これが案外重い。
相沢さんと私で1本づつ確保する。

宮下さんが先行して、NENさんが続く。お2人ともスムーズに登る。
下を見ると誰か着いたようだ。・・・五十嵐さんだ。車が変わった様だ。

全員スラブを登り、ダブルロープで一気に下降。
最初に相沢さん、次に宮下さん、待っている間にNENさんが話す。要するにこういう事だ。ガバだけでなく小さな凹凸でも指のフリクションを効かせることで、体勢を保ち、フラットソールの性能を信じてスラブに靴底を押し付けて登る事に気がついたし実感した。少し興奮気味に話されていた。

この事は、とても重要で良い感触は覚えていたい。
多分、リラックスしていたのでは?と思う。何か良い感覚を得る時は何か形容し難い身体の感覚があるものだ。
多分、それを言葉に表現できる人は良い指導者なのだろう。

ボクがスキーをスキー学校のアシスタントで教えていた頃の古い話
ボクは、スキー学校でスキーを教えるまで、スキー学校なるもので、教わった事が無い。そういう人間がスキー学校でスキーという技術、つまり非常に感覚的なコトを言語で表現するというのが難しい。主任がボクのレッスンを近くでチェックする。
一日終えると必ず怒られる。笹川、オマエの言う事は感覚的過ぎて判らん・・・・。ボキャ貧なんですね。
仕方ないので、バリエーショントレーニングでスキーのズレとかエッジの使い方を学んで頂く。
若い受講者にはウケた。大人のお客様には不評だった。
今でも、スキーに限らず運動、動作そのものを他人に伝えるのは苦手です。ボクは良い指導者になる資質は決定的に欠けていると思います。

その点、相沢さんは上手いです。
大分横道に逸れました。

で、石井さん私と降りる。
最初の登りに使ったロープは私が背負いラストに降りたらもうお昼。

昼食後、相沢さん、NENさん、宮下さんはBフェースの奥の方へ行く。私は、五十嵐さんにビレイをお願いして、昨年の続き・競技会ルートの続き。
問題は、核心部での左手と右手の一手づつ。
リードで登る。初回は思い出すので手一杯。で核心部分でジワジワ登り取ったと思った瞬間落ちた。
その後もどうにも流れが悪い。ので降りる。
五十嵐さんが行く。いとも簡単に登る。でも、一つヒントが見えた。そのヒントを可能にする方法はやっぱり脚。
再びチャレンジ、判っちゃいるけど出来ないのがクライミング。
今後は、インチキしてヌンチャクを掴んで核心部の一手を飛ばして、核心と抜け口の確認をして降りる。

相沢さんら3人が戻ってきた。
NENさん、宮下さんらは帰途に着く。
私と相沢さんで少し休んで再度競技会ルートへ。今度は、トップロープで遣ってみる。
何となく判ってきたのは、リーチの足りない私は核心部分で、スパッと決まらない。スタンスを誤魔化しゴマカシじわじわ上げていき、左手を取る方法が良いようだ。左手を決めたらまた、左足、右足をジワジワ上げて右手でエイヤッ!であとはどうにかなる。

よしきた!と勇むが、下から五十嵐さんが「ミゾに足突っ込んじゃえ!」とアドバスを頂いた瞬間落下〜
それでも、しっかり立ち込むことで安定させるイメージができたのそのまま続行。何とか核心をクリアした。

相沢さんが次に行う。はたして相沢さんの取り方は、五十嵐さんのようなスパッと決まるものではなく、ジワジワ行くものだった。私達の体躯ではこのルートをスパッとスタンスを決める事が難しいのでジワジワ行くのが正解の様だ。

次回はリードで一発で決めたいものだ。

で、これで撤収開始。
結局、我々と五十嵐さん以外だれも来なかった。





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